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ドラマ「放課後カルテ」~病気によって苦しむのは患者はもちろんのこと患者に関わる人すべて
病気を診る目には優れているが人との接し方に問題がある小児科医・牧野が、産休の養護教諭に代わり小学校の保健室に常駐することになったことから、物語は始まります。
医師が学校の保健室に常駐というのは通常ではないことですが、もし、そうだったらということでは興味深いです。

身長差をよく考えず描いてしまいました。座っていた場合はこんな感じかも?
6年2組の冴島さん、弟の直明くん、牧野先生です。冴島姉弟のお話に思うところがあったので少し書いてみます。
直明くんは重い病気でずっと治療を続けています。牧野先生が主治医だったのですが、牧野が学校に行くことになり元指導医の咲間先生が引き継ぎました。
冴島さんは牧野先生を慕う弟のために、牧野先生を病院に戻したくて悪い噂を学校中に広めます。
後で牧野先生に言われていましたが「学校を追い出された医師が病院に戻れるわけがない」ですよねえ。
冴島さんは6年生なので、このこと分からなかったのかなあとは思いますが、必死だったということにしてもいい?
冴島さんが直明くんに良かれと思ってしたことが、母親に認めてもらえず「余計なことばかりする」と非難されてしまいます。
息子を守りたい一心の母親は、知らず知らずのうちに娘を冷たく突き放すようになっていました。
冴島さんは母親からの愛情を受けられない辛さを、だれにも話すことができません。
それに最初に気が付き理解を示してくれたのは、牧野先生でした。
障害や疾患、難病などがある人の兄弟や姉妹のことを「きょうだい」というそうです。
まさに私の夫と夫の兄のことだと思いました。
夫の兄は小児まひの後遺症で右半身が不自由(車いすが必要というほどではありません)です。聴覚障害もあります。
夫の母親は、夫は障害者じゃないから放っておいても大丈夫と思っているように見えます。まったく心配してないわけではないのでしょうが・・・
障害者でなくても悩みや苦しみがあります。もう少し夫のことも考えてくれたらいいのにと思わずにはいられません。
夫の父親は自営業だったので、夫は後を継ぎました。夫は自分の父母のために家を出る選択はしませんでした。
現在も「兄のことを父さんに頼まれたから」と責任を果たそうとしています。
兄には発達障害の傾向もあって、コミュニケーションをとるのにも苦労しています。
せめて声をかけるだけでいいから、義母が夫に感謝の気持ちを伝えてくれたらと、願ってやみません。
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#放課後カルテ
「宙わたる教室」に寄せて~学校で体験できる素敵なこと
学校には様々な性格や家庭環境の生徒がいます。加えて、定時制では年齢も違うし複雑な事情を抱えている人もいます。
世代が違う人と理解し合うことや、連帯感を高めることは難しいかもしれませんね。
藤竹先生は、越川さんがクラスメイトをつなぐ役割を果たせると感じ、そのことを伝えました。
柳田さんは、藤竹先生と越川さんの会話から越川さんの事情を知ることになり、気にかけるようになりました。
米酢とすし酢の違いに気が付いたのは、越川さんが日常的に料理をしていたからですよね。
そして、彼女のヒントのおかげで実験は成功。柳田さんのあんなに嬉しそうな様子は初めてでした。
複数人が一緒に学ぶことにより、先生や教科書だけでなく生徒からも学べるのです。
それぞれ別の個性を持った人間が集まれば、差別やいじめなどが起こる可能性はあります。
良いことばかりではないにしても、ひとりひとりが持っている輝きを学べるのは、素敵なことだと思います。
学校は、ひとりではできないけれど、みんなで助け合えばできることがあることを、体験できる場でもあります。
これは将来への希望につながると思います。できない、だめだ、どうしよう。そんな時はだれかに助けてもらっていい。
そう思えるだけで一歩前へ踏み出せるのではないでしょうか。
科学実験で、生徒たちがそれぞれの得意なことや経験から得たものを出し合って、実験の成功につながること。
それが自信になるし、クラスメイトの絆を深めることにもなると、藤竹先生は考えているのかもしれません。

この絵を描いていて、藤竹先生が生徒たちから少し離れた位置で見守っていることに気が付きました。
生徒の自主性を尊重するベストポジションだなあと思いました。
こういう記事を書きましたが、私はすべての学校が素敵な場所とは思っていません。
だから、休みがちだったり退学しようと思っている生徒に、絶対学校に行って欲しいとは思いません。
残念なことに、生徒のことなんて全く考えていないのではないかと思われる学校も少なくないからです。
学校だからこその素敵な体験をできる環境の学校が、一校でも増えることを願っています。
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#宙わたる教室
がん・ピアサポート活動は私の大切な居場所
2024年10月7日にnoteに投稿した記事です
私は40代の後半に乳がんを経験しました。母を乳がんで亡くしていたので、いつか罹るかもしれないとは思っていました。
告知を受けた時は、がんであるという実感がわきませんでしたが、治療が進むにつれて、肉体的にも精神的にも辛くなっていきました。
特に抗がん剤治療中は、以前からあったうつの症状が悪化して、精神的に追い詰められていた時期がありました。
何とか無事治療を終え、体力も回復し精神的にも落ち着いてきた頃に、ピアサポート活動との出合いがありました。
ピアサポーターになったきっかけ
定期検診のため病院に行った際に、サロン開催のポスターを見て、何気なく参加しました。
そこでピアサポーターという存在を初めて知り、興味を持ちました。以前から医療に関わる何かをしたいと思っていたからです。
サロンが終わって帰ろうとしている時に、ピアサポーターの方から「また来てくださいね」と声をかけられました。
私のサロンでの発言を聞いて「ピアサポーターに向いている」と思ったということを後になって聞きました。
私もピアサポーターをやってみたいという気持ちになっていましたが、この時は何も告げずに帰りました。
次回のサロンに参加した時に、ピアサポーターになりたいという気持ちを伝えました。
ピアサポーターになるには
ピアというのは仲間という意味です。
患者や家族としてがんを経験した人が、ピアサポーターになる資格を持っています。
がん医療の専門家である必要はありません。
年に一度ピアサポーターの養成研修があります。
話を聴く心構えや技術(傾聴 : 相手の話に耳だけでなく目や心も傾け、話し手の状況や感情に共感しながら理解し、受け止めるためのコミュニケーション技術)などを学びます。
知識の習得だけでなくロールプレイ(実際の場面や状況を想定して疑似体験を行う学習方法)も行います。
私の場合は、養成研修が終了していたため、少しでも早く活動が始められるようにと、個人的に研修をしてくださいました。
ロールプレイはビデオ撮影し、アドバイスをしていただきました。自分で自分の動画を見るのは少し恥ずかしかったです。
実際にピアサポーターとして活動を希望する場合は、一般参加者としていずれかのサロンを経験し、レポートを提出して研修は終了となります。
研修の方法はピアサポーターが所属する地域や患者会によって異なります。ご紹介したのは私の場合です。
ピアサポート活動について
ピアサポーターができるのは、お話を聴かせていただくこと、自身の経験をお話しすること、がん関連機関とつなぐなどの情報提供です。
医療者ではないので、治療などについてのアドバイスはしてはいけません。
サロンに来られる方の多くは、だれにも話せない、話す場所がないという方々です。
参加者の皆様の話したいことをどれだけ引き出せるかが、ピアサポーターに求められる力量なのですが、難しいですね。
複数名の参加者を想定したサロンでは、ピアサポーター二名が担当するので、お互いの足りない部分を補い合うことができます。
個別で対応する場合はピアサポーターは一名なので、話しやすい雰囲気づくりや声掛けなど、特に難しいと感じています。
自分の限界を感じる場面もあり、ちゃんとできたと思うことは、いままで一度もありません。これから先も、そうでしょう。
参加者の皆様から感謝の言葉をいただいたり、涙を流していた方が笑顔で帰っていかれたり、そんな瞬間ピアサポーターで良かったと思います。
ピアサポーターはサロンでの活動の他に、がん教育の外部講師を務めることもあります。
外部講師をするためには、ピアサポーター養成研修の他に研修を受けなければなりません。
私は研修を受けてはいるのですが、仕事や家庭の事情で、実際に外部講師ができるかどうかは分かりません。
勉強会でピアサポーターとしてのスキルを高め合ったり、交流会で親睦を深めたりする機会もあります。
先日の交流会で家族に関する悩みを話したところ、皆さんさすがピアサポーター、きちんと受け止めてくださり、話して良かったと思えました。
実は、ピアサポーターはボランティアではありません。交通費と賃金をいただいています。
ピアサポーターの対応によっては、参加された方を傷つけたりしてしまう恐れがあります。
とても責任のある活動であるため、それを認識できるようにという意味合いもあるのです。
家庭と仕事とピアサポート活動
私はクリーニング店を営む夫と結婚したので、クリーニング業が仕事になりました。仕事は夫と分担してやっています。
自営業のメリットは、通勤しなくてよいことや一日の時間の使い方に融通が利くことでしょうか。
デメリットは、夫か私どちらかが必ず家に居なくてはならないため外出が制限されることや、仕事とプライベートの境界があいまいなこと。
ピアサポート活動は平日がほとんどのため、活動できる日が限られます。仕事内容が曜日によって決まっているため、活動できない曜日があります。
活動のある日は仕事を済ませてから早めに昼食を用意し、私だけ先に昼食を食べて出かけます。
ピアサポート活動をするようになってから、社会とのつながりが強く感じられるようになりました。
自営業なので、休業日以外はほとんど家に居て、だれかに名字で呼ばれることもない。
ピアサポーターでいる時は、皆さんが私そのものを見てくださっている。
家庭以外に自分の居場所があることが、こんなにも素敵なことだったなんて、ピアサポート活動をしなければ、分からなかったかもしれません。
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「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」に寄せて~父たちの戦争体験
原作コミックの作者・水木しげるさんが日本兵の一人として戦地へ赴き、敵機の爆撃で重傷を負い、それが原因で左腕を失ったことは、ご存じの方もいらっしゃると思います。
私の父も戦争経験者です。特攻隊に志願し、海軍飛行予科練習生として過ごした時期があったそうです。
父が志願したのは終戦間近であったため、出撃することはありませんでした。
父は当時のことを自慢気に何度も私に話して聞かせました。それが私はとても嫌でした。
戦時中は召集令状が届くことが名誉なこととされていたので、おめでとうございますという言葉と共に渡されていたそうです。
大切な人を戦地へ行かせたくなかったとしても、それを口にすることは許されませんでした。
国のために貢献できることを表向き(本心の人もいたのでしょうが信じたくないです)は喜ばなければなりませんでした。
夫の父親は足が不自由だったため軍事教練で行進が上手くできず、非国民呼ばわりされたと聞きました。
兵隊として戦えないのは役立たずということです。戦争で命を落とすこととは比べ物にならないかもしれませんが、辛い体験ですよね。
映画に出てくるメインキャラクターの一人・水木は戦争で体の左側に傷を負っています。
左目には傷跡があり、左耳の一部が欠けています。これは、水木しげるさんが左腕を失っているのと関わりがあるのでしょう。
そして体だけでなく心にも傷を負っています。何度も戦争中のことを夢に見たり、フラッシュバックしたりしています。
そして、人が信じられなくなっているようにも見えます。やけになっているようなところもありますね。
水木が生まれたばかりの命を抱きしめた時、人の温もりを取り戻したのではないかと思います。
命を救うことを選択したことで、水木も救われたのです。それからは、世界もいままでと違って見えたことでしょう。
次の絵は映画の本編とは関係ないのですが、水木がいつか清々しい気持ちになれるといいなという願いを込めて。

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#鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
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「宙わたる教室」 第9話を観て思うこと
最終回を観てから何か書こうと思っていたのですが、第9話を視聴したら、すぐにでも書きたくなりました。
演出が素晴らしいと思いました。総集編的な役割もあるような構成で、随所に工夫が凝らされていると感じました。
特に良かったのは、藤竹先生がいままでに語った重要な言葉が、生徒のセリフに織り込まれていたことです。
藤竹先生の言葉が生徒たちによって語られたことに、とても意味があると思いました。
どの言葉だったかは観てのお楽しみということで。
わざと、シーンを時間軸通りに並べないという演出も見られ、とても効果的だと思いました。
過去話で、藤竹先生が石神教授に抗議する階段でのシーン。
石神教授が常に上に居て、どんどん昇っていくのが意味深だと思いました。
ぐっとくるセリフもたくさんありました。私が好きなのは長嶺さんの奥様のセリフです。
傷つくことを恐れて何もしなければ、何も手に入らないし進歩もありません。
当人が選んだのならともかく、他人の可能性を奪うようなことはしてはいけませんよね。
でも、自分が愛する人に辛い思いをさせたくなくて、進もうとしている道を遮ってしまうことは、ありがちなのかもしれません。
藤竹先生の恩師・伊之瀬さんは、とても魅力的な方ですね。
ひとりひとりを尊重し、柔軟に考えることができ、幼き者からも学ぶ。
石神教授と対極をなす人物としての役割を担っているのでしょう。
何の分野においても、それは専門家やある特定の地位などの人のものではなく、すべての人のものであると私も思います。
ドラマのホームページにあった写真を見て描きました
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#宙わたる教室