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カテゴリ「プライベート」に属する投稿[5件]
胃がんの手術を受けました~術後から
2025年2月1日にnoteに投稿した記事です
手術や入院中のことを書いています。
ご覧になって大丈夫な方はどうぞ。
術後数日して
術後はICUにいて次の日の午前中に病棟に帰りました。
熱は下がらないし、咳をすると傷にひびいて痛いし、思い通りに体を動かせないのが苦しかったです。
もっと辛い手術を経験する人もいるのですから、こんなこと言っちゃだめなんですけど。
おしっこの管、お腹の管、抜いてくれないかなあと思っていると、おしっこの管は抜いてもらえて、少し体が軽くなりました。
今日の昼から食事が始まりまりました。今まではOS-1ばかり飲んでいました。
昼食は、具のないスープでした。これを半分を目標に三十分かけて食べました。
15時ころにフルーツ味の重湯飲料がでたので、普通に飲んだら即、尻の穴からトイレの中へ。
いろいろな成分が入っているのに、もったいなかったー。
食事と同じようにに少しづつにしないといけなかったんだと、一つ勉強になりました。
ある日の昼食

病院の食事は一見して何を材料にして作っったものか、分からないものが結構あります。
そこが面白いなと思って、何を調理したものか当てるクイズ感覚で食べています。
真ん中の豆腐のように見えるのは、和風鶏ハンバーグ。肉か魚系とは思ったけど、ハンバーグなんだ。
左下はブロッコリーとトマトのサラダなんだけど、ミニトマトかなと思うほうの食感がちょっとトマトと違う。
原料はトマトだけど、何らかの加工がされているものだと思う。
右下は、なんとなく分かると思うけど、茶碗蒸し。食べならし中の人用だから具はないです。
お姑さんが、あれもこれも硬い食べられないと言っていて、デーサービスの食事も食べられないことがあるみたい。
病院食は悪いイメージを持っている人もいるかもしれないけど、いろいろな工夫は高齢者食にも参考になるなあと思いました。
これからの食事
栄養士さんのお話を聞いて、胃を手術した人の食事について、よく分かってなかったことを知りました。
まず分食についてです。必ずやることだと思っていましたが、一回で食べきれない場合にするということでした。
だから、1日3食の人もいるのです。術後から慣らしていって、食べられるようになれば、朝昼晩と3回でいいのです。
(私の場合は3回の食事では量が足りないのでやせてしまうため、食事と食事の間に少し食べています。お気に入りは肉まんです。)
食事の内容についても、激変すると思っていましたが、そうではありませんでした。
病院の食事のように油脂をひかえたら、肉も食べられるんです。いずれは唐揚げなども少しは食べてもよいそうです。
注意しなければならないのは腸閉塞です。固く繊維が多い食品は繊維を断つように小さめに切ると良いそうです。
珈琲や紅茶など飲んでもよいが、コーヒーだけを飲むのは刺激が強いので避けるようにということでした。
調理法や食べ方を工夫することで、いろいろなものを食べられることが分かりました。
今回の体験から
入院はしないほうがいいけど、たまにすると、普通に生活できることのありがたさを実感したり、こんな便利になってることがあるんだと医学の進歩に驚いたり、得られるものもあります。
入院していて点滴が終了して針を抜いてもらうと、すごい開放感がありますよね。
針を刺している一番近くの点滴の管の連結部分をはずし、針を刺しているところの血が固まらないようにする液を注入することで、針を抜かずに一時的に点滴の管から解放されるんです。
これに感動しました。以前に入院した時にはなかった体験でした。
胃を手術するとなった時に一番心配だったのは、胃が小さくなってからの食事でした。
食生活が激変すると思っていたので、調理法や食べ方に気をつけさえすれば、いろいろな物が食べられると分かり、気持ちが軽くなりました。
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胃がんの手術を受けました~手術まで
2025年2月1日にnoteに投稿した記事です
手術や入院中のことを書いています。
ご覧になって大丈夫という方はどうぞ。
がんと診断されるまで
夫は毎年健康診断を受けていたのですが、私はサボっていました。
乳がんの手術をしていたので、もちろん乳がん検診は毎年受けていました。
私は癌にかかる確率が高いとわかっていたのに、どうして検診を受けなかったんだろう・・・
還暦を迎えたことを機にこれからは毎年受けようと思い立ち、日曜日に受けられる会場をネットで予約。
胃のレントゲンは発泡剤が鼻から抜けたことがあり苦手なので、胃の内視鏡検査を受けることにしました。
近所の病院で胃の内視鏡検査を受けたところ、がんが疑われるところがあったので2日後に総合病院へ。
消化器内科を受診して再び内視鏡検査をし、その結果がんと診断されました。早期だが手術が必要ということでした。
生検で診断を確定しなければならなかったので、一週間後に消化器外科を受診することになりました。
健康診断を受けてなかったら、見つかった時にはかなり進行していたかもしれません。
最初に検査を受けてから運よくはやく診断に至って本当に良かったです。
毎年ちゃんと健康診断を受けていたら、内視鏡で治療できたかもしれません。
どんな手術を受けるのか
がんが胃の真ん中より少し下にあるので、胃の出口から3分の2か4分の3切除するそうです。(幽門側胃切除術)実際には3分の2切りました。
手術支援ロボット・ダヴィンチを使って腹腔鏡下手術をします。5カ所小さく切るだけなので術後の痛みも軽く回復もはやいそうです。
胃がんは抗がん剤も放射線もあまり効果がないので、切って治す病気だそう。早期でも広く切除することに納得です。
手術や薬による合併症の説明がてんこ盛りだったのですが、手術してみないとどうなるか分かりませんよね。
手術に関しては執刀医に頑張ってもらうしかないので、あまり心配してないですが、術後に目覚めた時の体の状態は心配です。
5時間ほどかかる手術なので、麻酔を長時間かけていた影響とか。手術の翌日には歩かないといけないので、大丈夫なのかな?
術後に頑張って欲しいこととして、しっかり歩くこと、ゆっくり食べること、二つを主治医から言われました。
歩くのは、血栓ができることや呼吸器系の合併症を防いだり、体の回復をはやめるためです。
胃が小さくなったのだから、ゆっくり食べるのは当然ですが、難しいのでしょう。
少量の食事を30分くらいかけて食べてくださいと言われました。
入院準備
手帳に持っていく物のリストを書いて、チェックしていきました。病院で生活するわけですから結構いろいろ必要。
旅行に行くより持ち物が必要です。自分が日常使うものはすべて持って行かなくてはならないですから。
荷物をなるべく少なくしたかったので、ネットの情報なども参考にして何を持っていくか決めました。
入院案内パンフレットに持ち物について書いてはあるのですが、おおざっぱすぎて分かりにくい。
ひとりひとり必要なものが違うので、詳しく書いてないのだと思いますが。
パジャマ、タオル、歯ブラシ、歯みがき粉、シャンプー、ボディソープ、タオル、バスタオルなどをセットで提供してくれるサービスがあるので、こういうのを使ったほうが楽なのかも。
ひとり暮らしで、必要なものを病院に届けてくれる人がいない場合は、便利でしょうね。日額550円ということなので一週間で3850円。
パジャマやタオルは殺菌消毒クリーニング付きレンタルで、日用品は必要の都度利用できるということだから、これ利用したほうが得だったのかな?
手術前日
早く着きすぎたかなと、少し時間をつぶしてから入院サポートセンターへ行くと、けっこう待っている人がいました。
これなら着いてすぐ行けばよかったと、ちょっと後悔。受付して薬剤師さんから薬のチェックを受けてから病棟へ上がると、30分くらい経っていました。
すぐに昼食の時間になり、これを食べたらしばらく絶食かと思いながら、全部食べました。煮たサバ、大根と人参と厚揚げの煮物、もやしメインの和え物、みかんとキウイでした。
看護師さんが予定より早めにお腹の毛剃とへその掃除に来られました。毛剃はしなくていいとのことで、へその掃除のみでした。
へその掃除にオリーブオイルを使っていて、なるほど、肌に優しいからだなと納得。オリーブオイルは化粧品としても使われますよね。
この後シャワー浴。オリーブオイルが落ちるようによく洗ってと言われていたので、お腹を丁寧に洗いました。
それから液体の下剤を飲んだのですが、味が濃すぎて飲みにくかったです。この下剤は初めてでした。スッキリ便が出てくれるといいのですが。
歯科から呼ばれたので歯ブラシを持って行きました。なぜ歯ブラシ?と思っていると、私の歯ブラシで歯の掃除をしてくださいました。
とうとう点滴が始まりました。乳がんの治療の時の抗がん剤で血管が引っ込んでしまったので、針を刺す場所に苦労していた様子。
どこへ行くにも点滴と一緒なので不便ですが、手術を終えて数日すれば自由に動けるようになるので、しばらくの辛抱です。
今日することは、アルジネードウォーターというのを3パック飲むことと、寝る前の歯磨きだけになりました。
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ドラマ「放課後カルテ」~病気によって苦しむのは患者はもちろんのこと患者に関わる人すべて
病気を診る目には優れているが人との接し方に問題がある小児科医・牧野が、産休の養護教諭に代わり小学校の保健室に常駐することになったことから、物語は始まります。
医師が学校の保健室に常駐というのは通常ではないことですが、もし、そうだったらということでは興味深いです。

身長差をよく考えず描いてしまいました。座っていた場合はこんな感じかも?
6年2組の冴島さん、弟の直明くん、牧野先生です。冴島姉弟のお話に思うところがあったので少し書いてみます。
直明くんは重い病気でずっと治療を続けています。牧野先生が主治医だったのですが、牧野が学校に行くことになり元指導医の咲間先生が引き継ぎました。
冴島さんは牧野先生を慕う弟のために、牧野先生を病院に戻したくて悪い噂を学校中に広めます。
後で牧野先生に言われていましたが「学校を追い出された医師が病院に戻れるわけがない」ですよねえ。
冴島さんは6年生なので、このこと分からなかったのかなあとは思いますが、必死だったということにしてもいい?
冴島さんが直明くんに良かれと思ってしたことが、母親に認めてもらえず「余計なことばかりする」と非難されてしまいます。
息子を守りたい一心の母親は、知らず知らずのうちに娘を冷たく突き放すようになっていました。
冴島さんは母親からの愛情を受けられない辛さを、だれにも話すことができません。
それに最初に気が付き理解を示してくれたのは、牧野先生でした。
障害や疾患、難病などがある人の兄弟や姉妹のことを「きょうだい」というそうです。
まさに私の夫と夫の兄のことだと思いました。
夫の兄は小児まひの後遺症で右半身が不自由(車いすが必要というほどではありません)です。聴覚障害もあります。
夫の母親は、夫は障害者じゃないから放っておいても大丈夫と思っているように見えます。まったく心配してないわけではないのでしょうが・・・
障害者でなくても悩みや苦しみがあります。もう少し夫のことも考えてくれたらいいのにと思わずにはいられません。
夫の父親は自営業だったので、夫は後を継ぎました。夫は自分の父母のために家を出る選択はしませんでした。
現在も「兄のことを父さんに頼まれたから」と責任を果たそうとしています。
兄には発達障害の傾向もあって、コミュニケーションをとるのにも苦労しています。
せめて声をかけるだけでいいから、義母が夫に感謝の気持ちを伝えてくれたらと、願ってやみません。
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#放課後カルテ
がん・ピアサポート活動は私の大切な居場所
2024年10月7日にnoteに投稿した記事です
私は40代の後半に乳がんを経験しました。母を乳がんで亡くしていたので、いつか罹るかもしれないとは思っていました。
告知を受けた時は、がんであるという実感がわきませんでしたが、治療が進むにつれて、肉体的にも精神的にも辛くなっていきました。
特に抗がん剤治療中は、以前からあったうつの症状が悪化して、精神的に追い詰められていた時期がありました。
何とか無事治療を終え、体力も回復し精神的にも落ち着いてきた頃に、ピアサポート活動との出合いがありました。
ピアサポーターになったきっかけ
定期検診のため病院に行った際に、サロン開催のポスターを見て、何気なく参加しました。
そこでピアサポーターという存在を初めて知り、興味を持ちました。以前から医療に関わる何かをしたいと思っていたからです。
サロンが終わって帰ろうとしている時に、ピアサポーターの方から「また来てくださいね」と声をかけられました。
私のサロンでの発言を聞いて「ピアサポーターに向いている」と思ったということを後になって聞きました。
私もピアサポーターをやってみたいという気持ちになっていましたが、この時は何も告げずに帰りました。
次回のサロンに参加した時に、ピアサポーターになりたいという気持ちを伝えました。
ピアサポーターになるには
ピアというのは仲間という意味です。
患者や家族としてがんを経験した人が、ピアサポーターになる資格を持っています。
がん医療の専門家である必要はありません。
年に一度ピアサポーターの養成研修があります。
話を聴く心構えや技術(傾聴 : 相手の話に耳だけでなく目や心も傾け、話し手の状況や感情に共感しながら理解し、受け止めるためのコミュニケーション技術)などを学びます。
知識の習得だけでなくロールプレイ(実際の場面や状況を想定して疑似体験を行う学習方法)も行います。
私の場合は、養成研修が終了していたため、少しでも早く活動が始められるようにと、個人的に研修をしてくださいました。
ロールプレイはビデオ撮影し、アドバイスをしていただきました。自分で自分の動画を見るのは少し恥ずかしかったです。
実際にピアサポーターとして活動を希望する場合は、一般参加者としていずれかのサロンを経験し、レポートを提出して研修は終了となります。
研修の方法はピアサポーターが所属する地域や患者会によって異なります。ご紹介したのは私の場合です。
ピアサポート活動について
ピアサポーターができるのは、お話を聴かせていただくこと、自身の経験をお話しすること、がん関連機関とつなぐなどの情報提供です。
医療者ではないので、治療などについてのアドバイスはしてはいけません。
サロンに来られる方の多くは、だれにも話せない、話す場所がないという方々です。
参加者の皆様の話したいことをどれだけ引き出せるかが、ピアサポーターに求められる力量なのですが、難しいですね。
複数名の参加者を想定したサロンでは、ピアサポーター二名が担当するので、お互いの足りない部分を補い合うことができます。
個別で対応する場合はピアサポーターは一名なので、話しやすい雰囲気づくりや声掛けなど、特に難しいと感じています。
自分の限界を感じる場面もあり、ちゃんとできたと思うことは、いままで一度もありません。これから先も、そうでしょう。
参加者の皆様から感謝の言葉をいただいたり、涙を流していた方が笑顔で帰っていかれたり、そんな瞬間ピアサポーターで良かったと思います。
ピアサポーターはサロンでの活動の他に、がん教育の外部講師を務めることもあります。
外部講師をするためには、ピアサポーター養成研修の他に研修を受けなければなりません。
私は研修を受けてはいるのですが、仕事や家庭の事情で、実際に外部講師ができるかどうかは分かりません。
勉強会でピアサポーターとしてのスキルを高め合ったり、交流会で親睦を深めたりする機会もあります。
先日の交流会で家族に関する悩みを話したところ、皆さんさすがピアサポーター、きちんと受け止めてくださり、話して良かったと思えました。
実は、ピアサポーターはボランティアではありません。交通費と賃金をいただいています。
ピアサポーターの対応によっては、参加された方を傷つけたりしてしまう恐れがあります。
とても責任のある活動であるため、それを認識できるようにという意味合いもあるのです。
家庭と仕事とピアサポート活動
私はクリーニング店を営む夫と結婚したので、クリーニング業が仕事になりました。仕事は夫と分担してやっています。
自営業のメリットは、通勤しなくてよいことや一日の時間の使い方に融通が利くことでしょうか。
デメリットは、夫か私どちらかが必ず家に居なくてはならないため外出が制限されることや、仕事とプライベートの境界があいまいなこと。
ピアサポート活動は平日がほとんどのため、活動できる日が限られます。仕事内容が曜日によって決まっているため、活動できない曜日があります。
活動のある日は仕事を済ませてから早めに昼食を用意し、私だけ先に昼食を食べて出かけます。
ピアサポート活動をするようになってから、社会とのつながりが強く感じられるようになりました。
自営業なので、休業日以外はほとんど家に居て、だれかに名字で呼ばれることもない。
ピアサポーターでいる時は、皆さんが私そのものを見てくださっている。
家庭以外に自分の居場所があることが、こんなにも素敵なことだったなんて、ピアサポート活動をしなければ、分からなかったかもしれません。
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ドラマ「明日はもっと、いい日になる」を観て考えた事~親に問題がある家庭で育ったこどもの未来
2025年9月13日にnoteに投稿した記事です
この記事は、ドラマを観て私の体験から考えたことを書いています。感想よりは個人的な内容となっています。
ドラマの詳細は書いていませんが、内容の一部に触れています。ご了承のうえお読みください。
私は幼い頃から上手くいかないことが多く、なぜなのか分からず苦しんできました。
仕事も上手くいかず、働き始めてから9年目にうつ状態になり、半年休職した後に退職しました。
私の家庭が、父親が原因の機能不全家庭であったことに気が付いたのは、結婚してからでした。
私の父は、いつも自分の子供を他の子どもと比べ、ここがダメあそこがダメと、悪く言ってばかりでした。
人が話していると自分の悪口を言っているのではないかと思うようになりました。妹も同じことを言っていました。
私は、いつしか、自分はダメな人間なのだと思い込み、自己肯定感が極端に低い人間になっていました。
何かするときには失敗するのではないかということばかり考えていました。
そのため、新しいことに挑戦するという気持ちにはなれず、何事もなく一日が終わればいいという生き方をするようになっていました。
自信が持てず、あれこれ考えて何をするにも取り掛かるのが遅くなり、仕事にも支障をきたすようになりました。
また、父は嫌なことがあると自分で工夫して解消するということはなく、お酒に逃げてばかりでした。
お酒を飲みすぎて失敗し、いつも母が尻拭いをしていました。母も働いていたのに、自分の仕事を母に押し付けることも度々ありました。
母ががんで亡くなってから私が結婚するまで、父とふたりで暮らす日々がしばらく続きました。
嫌でした。逃げ出したかったです。でも、できませんでした。
父は、アルコール依存症とまではいってなかったのですが、酔っ払って転んで救急搬送され、結婚してからも度々病院へ駆けつけました。
そんな父も亡くなり今年三回忌を迎えます。
先日、ドラマ「明日はもっと、いい日になる」を観ていたら
こどもの頃に父親から虐待を受けた蔵田さんが
「あんな親から自分がうまれたと思うと、すごく嫌になります」
と言いました。
ああ、まったく同じことを私も何度も思った。
やっぱり、そうだよね。と感慨深かったです。
夏井さんの
「虐待を受けた自分は親になれないんじゃないかって言ってましたけど、いまの蔵田さんなら、きっと大丈夫です。私が保証します。」
という言葉に蔵田さんは救われました。
私は結婚してからも、うつ状態になったことがあって、その時に、うつ経験者のカウンセラーの方と出会いました。
うつになった原因をお聞きしたら、機能不全家庭という答えが返ってきました。私と同じでした。
電話でのカウンセリングと禅をもとにしたマインドフルネス(過去や未来ではなく、今・ここで起こっているものごとを体験し、ただ目の前のことに集中する)で、私の中の何かが違ってきたと感じるようになりました。
うつ経験者のカウンセラーに出会ったことと、夫が理解して私を支えてくれたことで、変わることができました。
父が居なくなっても、私の中に父の血が流れていることは変わりません。
でも、私は父とは別の人間です。
だれに出会い、だれが側に居るかで、人生は変わっていきます。
私は変わることができたけど、すべての人が変われるとは限りません。
それでも、親に問題がある家庭で育った人たちが「明日はもっと、いい日になる」という希望を持って生きていけたらいいのにと思います。
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#明日はもっと、いい日になる